身近に火のある暮らしを

日々のこと

 過去の写真データを整理していたら、一昨年前の秋に息子が入院していた頃を思い出した。

 息子は、子供の発症が極めて珍しいとされる「尿管結石」になり、延べ1ヵ月ほどの入院を余儀なくされた。思う存分遊びたい年頃。苦痛の日々だったと思う。

 治療に際して、レーザーで石を砕くにしても子供の尿管は細く狭いため、「ステント」と呼ばれる管を尿管に入れ、尿管が拡張してから手術するという運びになった。ステントによる拡張期間は一時退院となり、病院での我慢生活を過ごした息子に「家で何したい?」の問いに「焚火」と即答した。約2週間ほど、毎日のように焚火をしたことを覚えている(冒頭写真)。その時小学1年生にして、火付けから管理までほぼ一人でやれる程になった。

起源は縄文時代?

 ところで、最近ハマっている動画のなかで「人類の起源」というシリーズが印象深かった。人類は猿から、そして二足歩行になって手が使えるようになる「猿人」、さらに「原人」、「新人」と進化していく。

約20万年前の「新人」は更に進化を遂げ、火を扱えるようになったという。泥を火で固めた縄文土器は、まさに人類の進化の象徴だ。

 大分の「横尾貝塚遺跡」で発掘された一辺18cm、長さ3.4mの角材は、約6000~7000年前の縄文後期のものだと断定されたそうだ。この角材の意味がとても深い。石器ではなく、何かしらの硬い刃や鋸を使わなければ、角材は作れないだろう。鉄を溶かすには2000℃以上の熱が必要だが、銅にリンを混ぜれば700℃ほどで溶かすことができる。これが青銅器であり、石器だけではない、高度な文明がそこにあったことの証明だそうだ。

 ちなみに弥生時代には「鉄器」がつくられていたようで、溶かすほどではなくとも鉄は1200℃でまっ赤になり、それを叩くことで不純物のないものができる。我々の大昔のご先祖たちは、かなりの技術力を持って、火を使いこなしていたようだ。

火遊び写真

 写真を整理していて、思い出深かったものを紹介する。

市街地イベントにて

 市街地で開催されたイベントに参加した時のもの。街中を煙の渦に巻き込んだ。

保育園のキャンプファイヤー

 息子が通っていた保育園のキャンプで、毎年恒例の「キャンプファイヤー」をやった時のもの。井桁に組んだ薪だが、火力がどこまで上がるかわからず、20m以上ある樹木の枝葉に届く勢いでヒヤヒヤしたことを思い出す。先生曰く、過去一番の大きさだったとか。。。火を囲んで踊り歌った。

大学生達とキャンプ

 大学生達と講義の一貫でキャンプした時のもの。ある男子学生ははじめて火を扱った影響か夜通し眠れず、朝まで火の番をしていてくれた。きっと心の奥底に眠る何かが呼び起こされたのかもしれない。

世界平和を祈る

 人類は火を扱い高度な文明を発展してきた。一方現代では、日常から火のある暮らしが遠のき、その有難さを感じる機会が少なくなってしまった。

 海の向こうで、今もなお「戦火」が続いている。文明の発展が間違った方向にいかないように。そして地球がいつまでも平和でいられるよう祈りたい。

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